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ハリウッド版の「ガールパワー」を私が称賛できない理由

私は、もしかしたら自分に問題があるのかもしれないと思い始めた。郵送されてきたルース・ベイダー・ギンズバーグ最高裁判事のアクションフィギュアに、いらだちを覚えたからだ。

そのフィギュアは、6インチ大のノベルティーだった。それをつくったメーカーは、教皇フランシスコやバーニー・サンダース、ヒラリー・クリントンのフィギュアや、赤ちゃん用のサングラス、グリッターメイクアップ用品シリーズ「Unicorn Snot」などを製造している。

そのフィギュアが、私に(あるいはほかの誰かに)害をもたらしているわけではなかった。このフィギュアの宣伝を担当するPRパーソンによると、Kickstarterでのキャンペーンが大成功すれば、その売上の一部は慈善活動へ寄付されるという話だった。しかし、私の顔をひきつらせたのはそのブランディングだった。

メーカーの商品説明には、「男社会のでたらめを見抜けるメタルフレームの眼鏡」「抑圧してくる者に断固として立ち向かうヒール・ローファー」などの謳い文句が踊っていた。フェミニスト向けのバズワードで着飾ったこのマーケティングコピーは、このプラスティック製コレクターズアイテムを買うだけで活動家としての成果があげられるし、19.99ドルの1回払いで進歩主義者になれることをほのめかしていた。

この感情は、ギンズバーグ本人とは無関係だった。私はずっと、現在85歳の彼女が健康で、いつまでも活躍し続けてくれることを願ってきた(訳注:アメリカ最高裁長官は終身制で、ギンズバーグが死亡・引退すると保守派とリベラル派のバランスが大きく変わる)。彼女の健康状態についてもよく知っている。実の祖父母の健康状態よりもずっと。だからこそ、この人形が私の感情を逆撫でしたのだ。

ハリウッド版の「ガールパワー」を私が称賛できない理由

ギンズバーグだけでなく、男女の平等というより広い概念がキュートに商品化されることは非常に多く行われており、このフィギュアもそのひとつにすぎない。けれどもこのフィギュアは、こうした商品化に対する自分の耐性が低くなっていることを私に思い出させた。

この小さな人形と、そのモデルとなったギンズバーグの健康に対するわたしの絶望的なまでの思いとの間にあるギャップは、ほとんど耐え難いものであるように感じられた。私はこのフィギュアのことでCEOと話がしたいのだろうか?

このフィギュアはプロモではなかったが、そうしておいてもよかったかもしれない。2018年には、ギンズバーグの人生を描いた長編映画が2本公開されたのだ。どちらも、「コレクターズ・フィギュア」的と評されてもおかしくないアプローチでギンズバーグの人生に迫っている。つまり、ありのままのひとりの人間というよりは、一種のアイコンとして彼女を扱っているのだ。

1本目のドキュメンタリー『RBG』は、ベッツィー・ウエストとジュリー・コーエンが監督を務めた。5月公開時の興行成績は控えめだったものの、ギンズバーグの輝かしいキャリアが、彼女のワークアウトのルーチンとともに快活に描かれている。

このドキュメンタリーは、最近見られる彼女のミーム化に対しては無批判的だが(インタビューを受けた人たちのなかには、「『Herstory in the Making(女性の歴史が作られつつある)』というマグカップが部屋にあるの!」と息を弾ませながら語っている人もいる)、心なごむ聖人伝という感じではない。

トランプ大統領に関するコメントの件で、彼女をピシャリとたしなめている(訳注:ギンズバーグは2016年、当時の大統領候補だったトランプを批判。後日、自身の発言が「無分別」なものであったとしてトランプに謝罪した)。

人は、礼儀正しい態度でいる限り、悪名高くもなりうるようだ(訳注:ギンズバーグの動向をフォローする個人ブログが人気を集め、そのブログが著名ラッパー「ノトーリアス・B.I.G.」をもじって「ノトーリアス・R.B.G」と題されていたことから、メディアでも「ノトーリアス(悪名高い)」という呼び名が使われることがある)。

2本目の映画『ビリーブ 未来への大逆転』は、アメリカでクリスマスに公開された(日本での公開は2019年3月22日)。監督はミミ・レダー。私の目には、こちらの作品のほうが無難に映った。ロースクールの学生、妻、母、そして大学教授としてのギンズバーグをサンリオ的な愛らしさで演じているのは、フェリシティ・ジョーンズ。献身的な夫であり共同弁護士のマーティンは、アーミー・ハマーが演じている。