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What is the amazing game designer, Bunjin Ueda, which is recognized by the world?We talk with Yoko Otaro and Keiichiro Topiyama and the commitments in "ICO"![Game planning book]

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『ICO』が与えた衝撃とはいったい何だったのか? これほどに評価を得ている作品なのに、なぜその良さを言葉にするのが難しいのだろうか?そこで電ファミでは20周年を記念して、上田文人氏とともに『ICO』の魅力を改めて振り返る座談会を開催した。

世界が認めるゲームデザイナー・上田文人とはいったい何が凄いのか? ヨコオタロウ・外山圭一郎らと共に『ICO』に込められたこだわりを語り尽くす!【ゲームの企画書】

 それは、ほかのゲームとは明らかに一線を画していた。 まるで一枚の絵画のような幻想的なパッケージ。「手をつなぐ」というゲームらしからぬ身近でありながら斬新なアクション。説明も指示もなく、言葉が徹底して削ぎ落とされた世界観……『ICO』画像・動画ギャラリー ──そして何よりも“無国籍で神秘的な雰囲気”に満ちている。2001年12月6日、PlayStation2用ソフトとして発売された『ICO(イコ)』というゲームは、そのいまだかつてないほどに卓越したセンスでもって、多くのプレイヤーのみならず、国内外のゲームクリエイターにも多大な影響を与えたタイトルだ。 その後『ワンダと巨像』、『人喰いの大鷲トリコ』を手がけ、いまや日本を代表するゲームクリエイターのひとりである上田文人氏の才名を広く世に知らしめた傑作である。  しかし、『ICO』の「どこがどう良いの?」と聞かれると、答えに窮してしまう方も少なくないはずだ。 「手をつなぐ行為がいい」「世界観がいい」「少年と少女の物語がいい」といった答えは、たしかに『ICO』の良さの一部ではある。けれど、そうした「要素」を数え上げていけば『ICO』の魅力をすべて語り尽くせるかと言われたら、そういうわけでもない。 こうして結局のところ、『ICO』の魅力を語ろうとする試みは「なんかいい」「とにかくすごいんだよ」といった意味不明な興奮のほとばしりに終わってしまう。それほどに『ICO』は不思議な魅力に満ちている作品なのだ。 そんな『ICO』が、2021年12月6日に20周年を迎えた。 『ICO』が与えた衝撃とはいったい何だったのか? これほどに評価を得ている作品なのに、なぜその良さを言葉にするのが難しいのだろうか? そこで電ファミでは20周年を記念して、上田文人氏とともに『ICO』の魅力を改めて振り返る座談会を開催した。 お越しいただいたのは、『ニーア』シリーズでおなじみのヨコオタロウ氏、そして『サイレントヒル』や『SIREN(サイレン)』シリーズで知られる外山圭一郎氏。 おふたりは上田氏と普段から親交が深く、さらに同い年のゲームクリエイターであるという共通点をもつ。また外山氏は上田氏自ら「良き理解者」と語る人物でもあり、ヨコオ氏は「好きなゲーム」を聞かれた際には、昔から必ず『ICO』を挙げるほどに上田氏のファンでもある。 そんなおふたりが同席したこともあってか、普段あまり表立って語ることのない上田氏の口から、『ICO』に施されたさまざまな“こだわり”について、貴重なお話をいくつもお聞きすることができた。 『ICO』や上田氏のファンのみならず、クリエイティブに少しでも関わる方であれば間違いなく必見の内容となっているはずだ。聞き手/TAITAI文/tnhr編集/実存撮影/佐々木秀二■大阪芸大卒業後、CGを独学で習得。自主制作から『ICO』へ──今回は『ICO』のすごさを、ヨコオさんと外山さんからどんどん語っていただいてほしいなと思っております。きっと上田さんにさまざまな疑問をお持ちかと思うので、それを率直にぶつけてもらうと面白いお話になるのかなと。上田氏: 僕も聞いてみたいです。『ICO』について、「なんでそんなに評価してるのかなぁ?」と(笑)。──上田さんの作るゲームって、やっぱり「何か心に残る」ゲームだと思うんですよ。一方で、その「心に残る」とか「印象に残る」とはいったいどういうことなんだろう? という気持ちもあって。今日のお話の中で、そのあたりも深堀りしていければと思います。 上田さんって、ゲーム業界に入る前は大阪芸大で油絵を専攻されてらっしゃったんですよね? 上田氏: 正確に言うと、油絵専門というよりもけっこう柔軟な学科でした。油だろうがアクリルだろうが、立体だろうが、何でもOKみたいな感じです。──CG(コンピュータグラフィックス)も大学時代に触ってたんですか? 上田氏: いえ、大学時代は触ってなかったんです。卒業してから始めました。──なるほど、ではどんなきっかけでCG方面に進んだのでしょうか。上田氏: 「美術じゃ食っていけない」というのは卒業前からわかってたので、「何かしないとなぁ」という焦りの中から、いろいろ考えました。 自分は昔からAmigaというコンピュータが好きで、日本のゲームにはない表現や珍しいゲームジャンルに興味があったんです。当時は「洋ゲー」とか言われてて、作りがきめ細やかじゃないというか、丁寧じゃないイメージはありましたけど、個人的には洋楽と同じノリで「海外のゲームってすごくカッコいいな」と思って見てましたね。 それで「これを使えばなんか新しいアート表現ができるんじゃないか」みたいな期待でAmigaを買ったんですが、そこで思わずCGアニメーションにハマってしまったんです。 そのときちょうど3DCGがゲーム業界で盛り上がり始めていたので、うまく時流に乗れたという感じですね。──じゃあCGは独学で始められたんですね。上田氏: そうですね。昼間バイトして、夜はこつこつCGの勉強をしていました。 当時のAmigaって、解説書は全部英語しかなかったんで、辞書を引きながらほぼしらみつぶしで機能を上から順番に試すという感じで……(笑)。ヨコオ氏: 当時のCGツールってすごく高価だったので、とにかく「しゃぶりつくすぞ」感がすごかったんです(笑)。 新しいマニュアルやアップデートが来たら、毎回イチから全部試す!みたいな時代でしたよね。──その後、上田さんはワープ【※】に入社されて『エネミー・ゼロ』の開発に携わられていますよね。そこから『ICO』に至るお話をお聞きできればと思います。『ICO』のモチーフやインスピレーションなども含めて、企画を立ち上げるところからお聞きしていってもいいでしょうか。上田氏: ワープに入るまでは、まさか「自分がゲームを作れる」とは全く思っていなかったですね。とはいえ、「自主制作で何かやってみたい」という気持ちはもともとあって。ワープで仕事をしているうちに、「自分でもゲームが作れるんじゃないか?」と思い始めたんです。 それで、ある程度お金が貯まったタイミングで会社を辞めて作り始めたのが『ICO』というタイトルでした。 でも、当時の『ICO』はまだゲームとも、映像作品とも言えないようなものでした。ただ、それだと生活していけないので、業務委託として入ったのが当時のSCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)です。 「フルタイムで働いてほしい」と言われたんですけど、「すみませんが、自主制作もおこないたいのでできません」と。そうしたら、ありがたいことに「SCE社内で作ってみては?」と勧められて、SCEで作っていくことになりました。 インスピレーションでいうと、やっぱり当時は『バイオハザード』のインパクトが大きかったですね。これはたぶん外山さんの『サイレントヒル』もそうだったんじゃないかなと思います。 それまでの経験としてCGムービー制作をやっていたので、CG表現をメインに据えたものであれば自分でもできるんじゃないかなと。背景は止め絵にして、リアルタイムでレンダリングしたキャラを組み合わせればなにかゲームっぽいものができるのではないか。そう思って、「せっかくならホラーじゃないゲームを作ろう」としたのが最初のきっかけでしたね。ヨコオ氏: 『ICO』の原型は背景が止め絵だったんですね。上田氏: 厳密に言うと、止め絵じゃなくってQuickTime VRというものなんです。ご存知でしょうか?ヨコオ氏: 知ってます知ってます。 画像を360度つなぎ合わせて表示できるやつですよね。上田氏: 当初の『ICO』はあの技術を背景に使おうと考えていて。『バイオハザード』の背景は完全に止め絵でカメラは動かせないんですけど、『ICO』では背景画像を回転させて表示できるようにしたんです。 なんでそういう手法を選択したかというと、僕自身、ワープで『エネミー・ゼロ』などでCGムービーは作っていたんですが、リアルタイムレンダリングのゲームを作ったことがなかったんですよね。 だからモーションもレンダリングも、「これぐらいなら実現可能では」と自分の手の届く範囲で確実なものを組み合わせたものが『ICO』だったんです。ヨコオ氏: じゃあ、ゲームの文脈的には『MYST』【※】なんかに近いんですか。上田氏: そうです。とくに『Dの食卓』は、『MYST』から強く影響を受けていますしね。 BGMを多用せず、環境音メインなのもワープでの経験が大きいかもしれません。──当時って、Steamのように手軽にゲームをリリースできる環境がいまほど整っていなかったと思います。その中で、上田さんは『ICO』をどうやってアウトプットしようとしていたんでしょうか?上田氏: それでいうと、『ICO』は最初からゲームにするんじゃなくて、まず映像として予告編を作るところから始めたんです。 とはいえ、自分が作りたいシーンだけ作ってまとめて音楽をつけた、みたいな代物なんですが(笑)。それがゲームになるのか、映像になるのかはわからないんだけど、とにかく自分がいま持っている技術を注ぎ込んで。 これは当時作ったCGムービーとPS1の開発映像をコラージュした動画なんですが、このなかのCGムービー部分がそれですね。ヨコオ氏: 「素敵なムービーを作って、コンパクトにまとめる」みたいなことプレステが出る前後に「マルチメディアCD」としてちょっと流行ったじゃないですか。『MYST』もそうなんですけれど。上田氏: ありましたね。ヨコオ氏: CGクリエイターが、ちょっとインタラクティブ性を持たせた作品を出し始めて。そういう文脈の最終形が、『ICO』のQuickTime VRのプロトタイプという感じなんですかね?上田氏: いやぁ、そこまでは考えていなかったです。当時のCGブームの勢いがとにかくすごかった、ということのほうが大きいかもしれません。自分のCG技術にはそこそこ自信があったので、『ICO』がゲームになろうがムービーになろうが「何か作品と言えるものにはなるだろう」という気持ちはありました。ヨコオ氏: 当時はCGアーティストが大きく注目されていて。LightWave 3Dという当時の主流CGツール界隈では、上田さんはかなり注目されていましたよね。僕自身も会社に入ったときからもういきなり3DCGをやらないといけない状況でしたし。■『アウターワールド』や『レミングス』などアーティスティックな“洋ゲー”に衝撃を受けた──これを機に聞いてみたいんですけど、そもそも上田さんはどんなゲームが好きで、どんなゲームに影響を受けてきたんでしょうか。上田氏: 原点はセガ・マークⅢ、メガドライブですね。もちろんファミコンやスーファミも買いましたけど、ずいぶんあとになってからだったんです。僕はずっとセガ派ですね(笑)。 メガドライブには海外産ゲームが多かったので、そこから「海外のゲームってすごいな」と思い始めて。それで「もっと海外のゲームを遊びたい!」と、Apple IIやAmigaに行き着きました。 影響を受けたゲームで言うと、『アウターワールド』【※1】や『プリンス・オブ・ペルシャ』【※2】、『レミングス』【※3】とかですね。 アート専攻だったのもあって、それまでは「ゲームって快楽や商業を追求するだけ」に見えてたのが、『アウターワールド』や『レミングス」の表現を見たとき、「ゲームでもこういうオルタナティブな表現ができるんだ」と可能性を感じたんです。ヨコオ氏: 出てくるサンプルが、どれもセガのゲームじゃないってのが面白いですね(笑)。──『アウターワールド』や『レミングス』に衝撃を受けたお話について、もう少し詳しくうかがってもよいでしょうか。上田氏: 『レミングス』だと、多少、犠牲をはらったとしても全体の何割か助かれば良かったり、最後に残ってしまったもうどうしようもないレミングスは殺さないとクリアにならないとか、そういう予定調和じゃないコンセプトが前衛的で新鮮に感じました。 当時はコンセプチュアルアートが流行っていたんですが、それと同じ匂いを感じたんです。『レミングス』の開発者がそれ意識してるかどうかはわからないですけど。──なるほど、なんとなくわかります。映像でも文字でもなく、あの”ゲームという形態”でしか表現できないものというか。上田氏: そうですね。ゲームの中のキャラクターってコントローラーで操作できるのが当たり前なのに、操作ができないというところも「新しいなぁ」と。プレイヤーはレミングスに指示を与えるだけで、あとは見守るしかない。 似たような路線では『LittleComputer People』【※】とかも好きで。ゲームとして新しいアイディア、新しいメカニクスがある作品に意識が向いてたのかもしれないですね。──ちなみに、『アウターワールド』はどういうところがお好きなんでしょうか。上田氏: ゲームの難易度曲線って、徐々に上がっていくのが普通じゃないですか。でも、『アウターワールド』はそれがめちゃくちゃなんですよね(笑)。急にすごく難しくなったり、すごく簡単になったりするんです。 でも、その予定調和じゃないところが良くて。だから、「次のステージはどうなるんだろう?」「どういう表現になるんだろう?」とすごくワクワクしながらプレイしていけましたね。映画や小説だと「鑑賞者の予測を裏切る」って当たり前におこなわれている表現だけど、ゲームだと進行するほどに難しくなっていくのが当然と思っていたところをいい意味で裏切られるというか。 みなさんは『アウターワールド』をどう思いますか?ヨコオ氏: 僕は当時触れてませんでした……というよりも、「目に入ってこなかった」というのが正しいですかね。 僕は普通の消費者だったので(笑)、雑誌『ログイン』に載ってるゲームと、あとゲーセンにあるゲームが全てでした。 『アウターワールド』も『ログイン』でそんなに特集が組まれていたわけじゃないからよく知りませんでした。外山さんは情報をキャッチしてたんですか?外山氏: 僕はスーファミ版を持ってましたけど、たしかにゲーム雑誌でもあまり取り上げられていませんでしたね。 「わかんないだろうけど、見たほうがいい」みたいな感じで何かで紹介されて買ったんだと思います。 それで『アウターワールド』を家で動かしてみて、なんか「ワッ!」てなったのはすごく記憶にありますね。ヨコオ氏: 僕はその後FM TOWNSを買ったんですけど、そこで初めて「洋ゲー」というものを知りました。あそこではけっこう洋ゲーが出てましたよね。上田氏: そうですね。『レミングス』や『シャドー・オブ・ザ・ビースト』を開発したシグノシスのゲームがけっこう出てましたね。■『ICO』が日本から生まれたすごさとは?上田氏: ちょっと話が飛んじゃうかもしれないですけど、『ICO』ってなんか“そういう感じ”じゃないですか? 当時の『アウターワールド』や『プリンス・オブ・ペルシャ』って、そこまで世間的に評判になるタイトルではなかった。 でも表現にすごくこだわってる、みたいなところで言うと『ICO』のポジションも似たようなものじゃないかと思うんですよね。ヨコオ氏: でも僕は『ICO』を初めてプレイしたとき、ものすごい衝撃を受けましたよ。「あ、ゲームでこれやっていいんだ」と。 もし『ICO』が「QuickTime VRを使った映像作品」だったら、そこまで驚かなかったと思うんですよ。たとえば『MYST』みたいに、当時はCGで“オシャレ”な表現をするアーティストはたくさんいましたし。そういうものが、プレイステーションから出てきたとしても「なるほどね」で終わってたと思うんです。 だけど『ICO』は普通にゲームとして出てきて、しかもパッケージもなんかよくわかんない謎のアートだし、「わけがわからないな」と思って気になりました。 いざ遊んでみると、ボスは出てこないしゲームらしい抑揚もない。でも、不思議と美しいビジュアルと雰囲気に呑み込まれていって何時間も遊んでしまう。そういうところも含めて「すごいものを作る人がいるな」と、びっくりしたんですよね。 当時SME(ソニー・ミュージックエンタテインメント)系から出ていたオシャレなゲームとも違うし、洋ゲーとも違う。「何かすごいものが突然飛んできた」という感覚ですね。『ICO』は「日本からこの表現が生まれた」ということ自体もかなりすごいことだったんじゃないかと思うんです。上田氏: 「海外の人が作ったゲームかもしれない」って、よく勘違いされたんですよ。ヨコオ氏: 僕は全然そうは感じなかったです。外山さんはどう思ってたんですか?外山氏: 初報のときは「洋ゲーっぽいな」とは思いましたね。ヨコオ氏: あ、そうなんですか。 僕は逆に、「こんなに女の子が可愛いゲームが洋ゲーのはずがない」と思ってました(笑)。外山氏: 僕は『ICO』を実際にプレイした時には「あれ、ちゃんとしたゲームじゃないか」と思いましたね。 というのも、当時の洋ゲーって「なんじゃこりゃ!?」となる意味不明だったり、不親切だったりする要素がけっこうあったんですが、『ICO』は全然そんな感じがしなくて。 きちんと「これを超えたら、自然と次はこれ」みたいな気配りがあるし、いいタイミングでセーブをさせる気もある(笑)。上田氏: そのへんは当時の洋ゲーよりはフレンドリーですね(笑)。外山氏: お話もちゃんと意味が伝わりますし。言葉はわからないけど、話はしっかりとわかる。 そのあたりの、すごくチャレンジャブルだけど普遍的なことを「きちんとやりきろう」みたいな意識がすごく丁寧で、信念みたいなものを感じましたね。ヨコオ氏: 作り方の話で言うと、僕はそのときちょうど『ドラッグ・オン・ドラグーン』の制作最中だったんです。 そのときのスクエニのプロデューサーから言われるのが「量を増やせ」「ボイスを増やせ」ということだったんです。それで「このゲームをやれ」と言って渡されるのが『三國無双』だったりという。外山氏: (笑)。ヨコオ氏: とにかく当時は「過剰に」「派手に」という時代で。だからこそ、そういう中で「大きい会社からこういう作品が出るんだ」という驚きは大きかったです。上田氏: メジャーレーベルから「なんでこんなマニアックな」みたいな衝撃ってことですよね。ヨコオ氏: そうですね。しかも表現として“逃げてない”んですよね。 「アートっぽくオシャレに作りました」ではなくて、やれる範囲でコンパクトにうまくまとめてあって、ちゃんと一貫したゲーム体験になっている。そこはやっぱりすごいなと思いましたね。上田氏: そこの本物感は意識しました。でも、パッケージは「アートっぽい」ですよね(笑)。ヨコオ氏: いま振り返ってみると、「よくあのパッケージで通ったな」とは思います(笑)。上田氏: そうですよね(笑)。でも、あのパッケージは『ICO』のひとつ大きな戦略ではありました。 名の知れた経歴がある自分やチームでもなかったですし、聞き慣れたゲームジャンルでもないので、とにかく「目立たないといけない」と思っていたんです。 『ICO』を作り始めたのは初代プレイステーションだったので、それこそ飯田さんの『アクアノートの休日』や森川幸人さんの『がんばれ森川くん2号』を参考にして。 ナンバリングタイトルや誰もが知っているタイトルではありませんから、ああいう“目立ち”が必要だと思っていました。というかそれしかなかったですね(笑)。外山氏: 僕は『SIREN』のパッケージを藤田新策先生に頼んだんですが、あれも当時の上司に「本当にいいのか?」みたいなことは言われましたね。 ただ僕は、時間が経った時に、消費され尽くして廃れて「うわっ! 古っ!」となっていくものと、そうではなくてむしろヴィンテージとしての価値が上がっていくもののふたつがあると思っていて。それで僕は後者を選択したんです。上田氏: 僕も同じ考えですが、外山さんもずっとそう考えているんですか? 『サイレントヒル』、『SIREN』でもそういう雰囲気は感じましたけども。外山氏: そうですね、「トレンドだから」とか「流行っているから」とかはむしろ避けていましたね。最近はちょっと違ってきていますが(笑)。上田氏: 最近では少なくなくなってしまった価値観かもしれないなぁとは思いますけどね。ヨコオ氏: 上田さんもよくおっしゃっていますね。上田氏: やっぱり作るからには『MOTHER』や『moon』のように末永く愛されるものにしたいと思っていました。 僕だけじゃなくて当時のスタッフたちも「たくさん売れたい」という気持ちもありますが、それだけで作っているわけではなかったですし。 じつは『ICO』の開発を初代プレイステーションからPS2に移行するとき、僕は反対したんです。なぜかというと、新しいプラットフォームに間に合わせで作った作品になるぐらいだったら、「“プレイステーションの終焉期に出た、すごくこだわりのあるタイトル”のほうが、売れないかもしれないけど残るだろう」と思ったからなんです。 まあ結果的にはPS2になりましたが、満足する内容でリリースすることができたので良かったです。ヨコオ氏: おふたりの「マスターピースとして残る作品を作りたい」という思いは、じつは僕にあんまりないんです。 というのも、その思いがなくなったのはそもそも『ICO』のせいなんです(笑)。といっても、ポジティブな意味でですよ。 『ICO』を見て、こういう「残る作品」を作れる人がいるんだったら、僕はこの方向ではやらなくていいなと思って。 だから、自分はもうちょっと──なんだろうな、「ある時代の中でしか生きられない、チンドン屋みたいなゲーム」を作っていきたいな、という発想にシフトしたんです。外山氏: 僕もそこは同感です。「時代を超えて残る」みたいなところを突き詰めるのは上田さんがいればいいや、と(笑)。 自分はもうちょっとライブ感とか、ノリみたいなものを入れてこうかなという方向にシフトしましたね。上田氏: 自分もそうなんですけどね。一同: (笑)。ヨコオ氏: いやいや、それだと全員混ざっちゃうから困りますよ(笑)。 外山さんと上田さんとお話ししててよく出る話題が「アーティストか、エンターテイナーか」みたいなことなんです。 この中で誰がアーティストで誰がエンターテイナーかというと、全員自分が「一番エンターテイナー」だと思っていて……(笑)。上田氏: でも『ICO』を作ったのは、当時は『ICO』みたいなゲームがなかったから、というのも大きいですよ。 もし当時、言葉も要素も少ない寡黙なゲームが世の中にいっぱいあったら、『ICO』みたいなゲームを作ろうとはしなかったと思います。ヨコオ氏: ああ。なるほど。上田氏: 『ICO』って語らないところを評価してもらえることがあるんですど、いわゆるナラティブなゲームにしたいから言葉をなくしたわけじゃないんです。 語らないゲームが多くあったなら「じゃあたくさん言葉が出てきて語りまくるゲームを作ろう」と思ったでしょうし。ヨコオ氏: 僕は『ICO』の全然説明しない感覚に影響を受けて、『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』はわざとめちゃくちゃ喋るゲームにしたんですよ。それこそ、拠点から拠点へ歩いて移動するあいだもずっと喋っているようなレベルで。 『ICO』が喋らないゲームだったから、逆にめちゃくちゃ喋らせようという“ひっくり返し”だったんですけれど、そういう意味ではすごい影響を受けてますよね。 僕にとってゲームを作るのって「空いている穴を埋めていく」ような作業なんです。『ICO』は僕の中にあるすごく大きい穴を埋めてくれたようなもので、やっぱりその衝撃は大きかったんですよね。上田氏: 言われてみればたしかに、いま掘ろうとしてるところでそれ以上のものが先に出てきちゃったら、そこには鉱脈はないですよね。 それだったらもう別のところを掘るしかない、という考えは『ICO』に限らず意識するところです。■「続編を作らない」ことでヴィンテージとしての価値が保たれる──先ほど「トレンドよりもヴィンテージとしての価値を選ぶ」というお話がありましたが、ゲームってヴィンテージとしての価値を保つのがすごく難しいメディアだと思うんです。技術はどんどん進化していきますし、「当時はスゴかった」というだけでは次第に古びていってしまうじゃないですか。 そこでゲームにヴィンテージ的な価値を持たせるためには、何が必要なのか? ということをお聞きしてみたいです。上田氏: 自分の場合は「続編がない」ということも多分に影響がありそうです。ヨコオ氏: ああー。上田氏: 「続編」って少なからずマイナーバージョンアップみたいなところが含まれるじゃないですか。 そうすると、その前作はどうしてもかったるくてやってられないゲームになってしまう。だから、僕はバージョンアップしたいと思ってもあえてしていないんです。 「もうこれはこれで完成形なんだ、粗(あら)も含めてこういうものなんだ」というふうに受け入れてもらったほうが残るゲームになるんじゃないかと。ヨコオ氏: 僕と外山さんは続編を作りまくってますね(笑)。上田氏: あ、もちろんいまは違いますよ(笑)。いまは続編があっても「やっぱり前作のほうがいい」という価値観も普通になりましたけど、あの当時はそういう感じではなかった。ヨコオ氏: 先ほども言いましたけど、僕は『ICO』を体験することで完全に「残るものを作ろう」という思考を捨ててしまったので、むしろ「ゲームを残す」というよりは、ゲームを含めたその時代の空気感とか流行っているものとか、そういう周りのものもすべてひっくるめた「その場で楽しむもの」という体験を大事にしていきたい、という気持ちが強いです。──いま、「その場で楽しむもの」の最たるものは運営型スマホゲームになっていますよね。アップデートで強いキャラが追加されたり、あるいは弱体化されたりみたいなことって、後から追いかけても当時のプレイヤーと同じ体験を得るのは難しいでしょうし。ヨコオ氏: そうですね。僕はスマホのゲームもいくつかやってるんですけど、いずれサービスが終わるという儚さが「いいな」と思ってます(笑)。上田氏: そう言われてみると、「長く残るものこそが良い」という価値観も古くなってきているのかな、と思う部分もありますね。外山氏: そうですね、変わりましたね。もう全然感じなくなってきたかもしれない。上田氏: そこはある程度しょうがないことだとも思いますけどね。「その価値観を大きく変えよう」とは思ってないというのはあるんですけど(笑)。 ファッションに近いんじゃないですかね。長持ちするものが好きという人もいるし、その都度流行りに合わせて変えていくという人もいるだろうし、それはどっちであるべきという話でもないと思います。ヨコオ氏: それでいうと『ICO』は、時代に左右されるというよりも時代を“超えた”体験というか。「いつやっても、いいゲームだな」と思えるゲームだと思いますよ。上田氏: そう言ってもらえるとうれしいです。結果としてですけど、自分が想像した以上に評価されたり、長く残っているという感じはあります。──『ICO』が完成したときは、すでにその手応えはあったんですか? 上田氏: いや、それは全くなかったです。『ICO』に限らず、これまで作ってきたどのタイトルのリリース時にも手応えは感じてないです。むしろ、「相当叩かれるだろうな」という気持ちで。だって、僕が作るゲームって“ないものづくし”じゃないですか(笑)。 「こんな短いゲームでいいんだろうか」、「武器が2種類ぐらいしか出てこなくていいんだろうか」「こんなに敵の種類が少なくていいんだろうか」みたいに、常にリリース時は不安との戦いですよ。外山氏: 当時だとやっぱり「中古屋にあふれました」とか言われるのが怖いですよね(笑)。ヨコオ氏: ああー、そういう「売れない」とか「中古屋にあふれる」みたいな恐怖ってありました?上田氏: つねにあります。ヨコオ氏: そうなんですね。 僕は『ドラッグ・オン・ドラグーン』のディレクターをやったときから開発会社という立場でパブリッシャーではなかったので、言い方は悪いですけど「末端の僕は売れても売れなくても給料変わんねえしなぁ」という気持ちでやっていました。──(笑)。上田氏: すごいですね(笑)。ヨコオ氏: だからもう「自由に生きてこう」と思って作ってきました。上田氏: 僕もそういう気持ちで作りたい。ヨコオ氏: いまでも、べつに売れなくていいんじゃないって思ってますね(笑)。外山氏: いまは選択肢もかなり広がったので、「ゲームを作りたい」と思ったらやりようはたくさんあると思います。 けど当時はやっぱり、コンソールゲームのディレクターの「打席」みたいなところにいると、「ここで三振したらもう次はない」みたいな恐怖感はひしひしと感じてましたね。上田氏: 僕は、逆にそのプレッシャーみたいなものはなかったですね。 「自分が考えたゲームを作れれば、もうそれでOK」、「あわよくば評価されたらいいな」くらいの気持ちでした。 「次の打席」という思いはさらさらなくて、「ゲーム業界に来たからには、こんなゲームを作りたい」という思いが果たせたら、それだけが目標でした。外山氏: なるほど……。上田氏: 皆さんが最初にディレクションをやったときってまだ20代でした?ヨコオ氏: 僕はちょうど30歳になったときですね。『ドラッグ・オン・ドラグーン』のときにめちゃくちゃやって、パブリッシャーの人に「あいつはダメだ、外せ」みたいなこと言われていたんです。 で、プロデューサーから「ここは我慢して条件を飲んで、次の作品でなんかちゃんとやれよ」みたいなことを言われたときに「次なんかねえよ!」みたいなキレ方をしたりしました。 「どうせ売れないし、次なんかねえんだからいいんだよ!と(笑)。■「セーブするとき、わざわざ手をつないでベンチに座る」ということの意味──先ほど上田さんは「『ICO』はほかでやってないことをやっただけ」というお話をされてましたが、たぶんそれってマーケティング的な「差別化」とはちょっと違う話に思うんです。 というのも、上田さんだけじゃなくて外山さんもヨコオさんもそれを当たり前のようにこなしているように思えていて。どっちかというと「やりたいこと」が先にあって、たまたまそれがほかでやられてなかっただけなんじゃないかと。ヨコオ氏: 僕はそうでもないかな……。たとえば「アクションRPGで中世のやつ」みたいに、ゲームを作る時はお題があることがほとんどですし。その中で無理やり隙間を見つけてましたね。 PS2時代って「派手でボスがたくさんいることが大事」っていう価値観で、ストーリーについてはあまり注文されなかったんです。で、すっごい暗いゲームを作ったんですが、途中でバレて「直せ」って言われて。だけどもうマスター直前でどうにも直せず……(笑)──(笑)。ヨコオ氏: おふたりはSCE(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)で、パブリッシャー兼デベロッパーの会社にいるのと、純粋にデベロッパーだった僕の場合だと、オリジナリティに対する前提はだいぶ違うと思う気がするんですけど、どうでしょう。 外山さんがおっしゃられていたことで印象的なのが「SCE(現SIE)が持たされている役割は、公共放送みたいなもの」というものです。 プラットフォーマーだから、「NHKみたいにいろいろな作品があることに意味があるんだ」とおっしゃられていたんですけど、覚えてますか?外山氏: はっきり覚えてませんが、まあ言っていてもおかしくないなと思います。上田氏: 『GRAVITY DAZE』なんかもそうですけど、外山さんは「新しいメカニクス」にこだわりますよね。ああいうところになんでこだわるのかというと、やっぱそういうゲームが好きだからですよね。外山氏: そうですね。なんでそれを目指すのかといったら、やっぱりそういう新しいゲームに憧れたからです。上田氏: 憧れてるんですね(笑)。外山氏: そうとしか言えないですね(笑)。ヨコオ氏: ゲームを作る人というか、なにかモノを作る人の本能的な何かな気がしますけどね。やっぱり何の新規性もないものって、目に入ってこないというか刺激を受けないですよね。 そもそもモノを作るのって、刺激を受けたいから作るわけじゃないですか。「刺激を受けるって何だろう?」というところを突き詰めていくと、自然と新規性が多くなると思います。上田氏: そこは「程度」もあるかもですね。どんなものだって「全く変わらない」ってことはたぶんないと思います。たとえば、同じRPGでも微妙にシステムが違ったりとかしているじゃないですか。 その差で「良し」とするか、それとも、根幹のメカニクスからまったく違うものじゃないと「嫌だ」と思うか。そこの差なんですかね。 どっちが「良い」というのはないんでしょうけど、さっき言った『レミングス』や『LittleComputer People』みたいな「触ることすらできない」ってすごく新しいじゃないですか。 そういう今までになかったような斬新な表現を「すごいなぁ」と思ってしまう作り手が、“新規性”みたいなとこにこだわっちゃうんじゃないですかね。──そういうものがゲームとしての新しさの体験性ですよね。 『ICO』もゲームパートを分解したら「パズルゲーム」と言えてしまいますけど、それを「女の子の手を引っ張って助けながら進める」という要素が新しさを生んでいるんじゃないかと思います。 そういう発想って、どんなビジョンから始まるんだろうというのが気になります。上田氏: 「他のメディアで表現できるようなことだけはしないように」、というのはつねに意識はしているんです。逆にそれで表現の幅が狭まるという部分もあって。そこにこだわりすぎて「つらいなぁ」みたいのはありますかね(笑)。 もう少し、映画や小説、漫画などで他の表現メディアでの手法だったとしても、もっと気楽に取り入れていいんじゃないかとも思うんですけど、「それじゃゲームにしている意味がないのでは?」と。ヨコオ氏: 上田さんのゲームって、アクションやメカニクスがゲーム的にすごく新しいかというと意外とそうでもないんですよね。 むしろ、そこにきちっと「意味を付随させている」ことのほうがスゴくて。 「意味」と「アート」と「ゲームギミック」、それぞれに「そうでなければならない理由」がちゃんとあるんです。 たとえば「女の子の手を引く」が象徴的ですね。女の子といることがゲームの核になっていて、ビジュアルもそれをサポートするようにきちんとまとまっている。 そういう意味では、なんか「Appleっぽい」というか、「既存の機能をある体裁でまとめる」ことに価値を生み出しているという感じはしますね。──なるほど。言われてみるとたしかにその感じは大きいですね。上田氏: でもそこって、けっこう悩ましいんですよ。「手をつなぐアクション」って狭義のゲームデザインに当てはめて考えると、「手をつなぐ」ことで何か「良いこと」がないといけないじゃないですか。ヨコオ氏: 「手をつないでいるあいだは体力が回復する」とかですね(笑)。上田氏: 狭義のゲームデザインセオリーから考えるとそうしたほうがいいはず。ヨコオ氏: 普通はしたくなりますよね。上田氏: いまでこそ、そういうセオリーから外す表現も増えてきましたけど、当時は「ゲームデザインとはこうだよ」「レベルデザインとはこうだよ」と、よくつっこまれた記憶があります(笑)。──それでも、「女の子の手を引いて歩く」アクションって、ゲーム的なメリットのあるなし以前に“ちょっといい”じゃないですか(笑)。体験的な気持ち良さといいますか。ヨコオ氏: たしかに(笑)。──上田さんのゲームの凄さって、あの「いい感じ」にあると思うんです。いわゆる狭義のゲームデザインという概念ではない、でもゲームじゃないと表現できない、“いい感じ”。それは手触りでもあるし、体験性でもあって。外山氏: 「『人喰いの大鷲トリコ』のトリコに餌をあげる」アクションなんかもそうですよね。上田氏: 僕のゲームの中で、正面から「ゲームでしか表現できないものって何?」って言われるとそんなにあるわけじゃないと思います。 一方で、「それが正解かどうかはわからないんだけど、他ではできないもの」を消去法的にやっていった結果、それだけしか残らなかったみたいな感じが近いと思います。ヨコオ氏: 『ICO』でいうと、僕がいちばん好きなのは「セーブするとき、手をつないでベンチに座る」というギミックですね。 僕はあれを見たときに、「もうほんとこの人頭おかしい」と思いました(笑)。一同: (爆笑)。ヨコオ氏: 褒め言葉ですよ(笑)。そのゲーム的な意味がなさすぎて震えたんですが、逆にそれがすごく好きになったんです。意味はないけど、それでも「女の子と座りたいし」と思えてしまう。上田氏: いまならやらないかも(笑)。セーブするのが煩わしいという側面もありますから。外山氏: いまだったらやらないんですか(笑)。上田氏: たぶん、当時は「セーブポイントとはなんぞや?」みたいなところから考えていたんだと思います。本来なら何かに触れたら「セーブしました」でよかったのかもしれないですが、ゲームをまったくやらない人からすると、言葉でいわれても「セーブって?」となりそうで。それで世界設定的にも違和感のないような表現にしたいってのがあったんです。ヨコオ氏: けどこれって、ゲーム全体に意味として寄与してるんですよね。上田氏: 合理的に考えたら、手をつないだらパワーアップしないといけない。だけど、「そうじゃないからいい」と感じてもらいたい。──メニュー開いてセーブだったら違いますもんね。ヨコオ氏: そうですね。ヨルダとの関係をそこで示して、それが積み重なって最後に至るんです。だから最終的には意味があるんですけれど、プレイしている最中はわかんないんですね。──セーブみたいな当たり前のアクションがこんなに印象に残るゲームって、『ICO』ぐらいだと思うんです。ヨコオ氏: 「他がないから」な気もしますけどね。『ICO』って、基本的にはすごいストイックに作ってあるじゃないですか。だから余計に、変わったところがパッと目に入ってくるんです。上田氏: そうかもしれません。砂浜を歩いた感じとか、手つないだ感じとか、ヨルダのしぐさとか。 でも言葉だとひと言で済むのに、それをジェスチャーや醸し出される雰囲気で伝えようとすると、めちゃくちゃ工数かかるんですけどね(笑)。 「セーブしますか?→YES・NO」でいいところを、主人公が座ったら、ソファまでヨルダをパスファインディングで移動させてポジションを合わせて、そこで座らせると。そこまでするとなれば、やっぱりお金も時間もかかりますよね……。ヨコオ氏: ですよね。■「パッと見で差がない違い」に対してこだわるのか、こだわらないのか?──今日の取材のために『ICO』を復習してきたんですけど、『ICO』の「手をつないで歩く」動きってやっぱり今見てもすごく自然に見えるんですよ。 「仲間がついてくる動き」っていまどきの3Dゲームでも自然に見せるのはかなり難しいと思うんです。「いかにもAIで動かしてます」みたいなぎこちなさが出てしまいがちなので。 あの自然さを出すのに、どういう苦労があったんでしょうか。上田氏: モーション単体の話とはちょっと違いますが、操作した時の“感触”という意味ではまだまだ満足できてはいないんですよ。『プリンス・オブ・ペルシャ』や『バーチャファイター』みたいな優れたゲームって、“脳に手触りが残る”んですよね。でも、『ICO』はそこまでは至れてないと思っているんです。 手をつないで、ちょっとだけアクロバティックな操作をしたときに、引っ張られて外れる。で、またつなぐ。それがコントローラーを操作したときの「手触り」として、プレイヤーに脳裡に残るようなところまで持っていきたかったという気持ちもあります。──そうなんですね。それでも十分すごいところまで行っていると思いますが。上田氏: 手をつないでコントローラーがブルっとして、「あの感触が良かったです」という感想も多くいただいていたので、結果的には満足していただけたのかなとは思ってはいるんですが。 とはいえ、本心としては「まだまだなんだけどな」と思うのが正直なところです。いまだったらもっと良いものが作れるはずなので(笑)。──ちなみに手をつなぐところって、どのように制作を進めていったんでしょうか。上田氏: 一応仕様っぽいものは書いたんですけど、プログラマーの後ろについて「もう少しこうして」と指示を出したり、それに合わせて自分でもモーションを修正しながら作っていきました。 パッと見で差がない違いに対してこだわることが正解なのか、それともそこはもうスルーしてやったほうがいいのか。それについてはいまでもまだどっちが正解なのかわかってないです。ヨコオ氏: 上田さんにはその「差がないところ」にこだわってほしいと思いますけどね。外山氏: 僕もそう思います。上田氏:これは長年の悩みでもあるんですけど、「目が肥えていく」のってディレクターとしては絶対必要じゃないですか。だけど、あまり目が肥えすぎるとプレイヤーの目線とかけ離れすぎてしまうし、差がわからない違いにコストをかけすぎても制作はいつまでも終わらないですよね。 とはいえ、目が肥えていないと品質の高さを保証できない。ヨコオ氏: 僕としては、もう永久に突き詰めてほしいし、磨かれた作品であってほしいなぁと思いますよ。 それは『ICO』を見て僕が路線をシフトした方向が、磨かれたものではなくて、「荒々しくていいもの」を作ろうと思ったからこそです。 磨き上げる代わりにたくさんのいろんなものが入ってガチャッ!としたのが僕の作品の方向なので。上田さんのセンスでこちらの市場に参入されると、僕のやつは単にガチャガチャしているだけになるので、こっちに来ないでほしいです……(笑)。上田氏: いやいや……(笑)。■「手をつないで歩く」のは「気持ちいい」というよりも「煩わしい」?──それに関連する話かもしれないんですが、上田さんは以前、ゲーム開発者向けの講演で「ゲーム性って言葉が嫌いなんです」とおっしゃっていたじゃないですか。上田氏: ああ、そうですね。──それで、「ゲーム性」を「ルール性」や「ルールの面白さ」とはもっと違う意味で使いたい、というお話をされていたのが印象に残っていて。 今日のお話を聞いていて思ったのが、上田さんが考えている「ゲーム性」って、『ICO』における「手をつないで歩く・走る」という操作そのものが気持ちいい、みたいなことなんじゃないか? ということなんです。「体験性」という言葉に置き換えてもいいかもしれない。 こういう「ゲーム性」「体験性」を突き詰めて作るというのって、なかなかできないことだし、「ほかじゃやらないこと」でもあると思うんです。上田氏: 「気持ちいい」とはちょっと違うかもしれないです。 というのも、『ICO』の場合は手をつないで、「手がちぎれそう」とか「女の子が素足で痛そうだから、あえて歩きました!」みたいなプレイヤーもいたりするんですね。 そうするとむしろ「気持ちいい」というよりは、「煩わしい」みたいな存在ですよね(笑)。 でも、「煩わしいけど許せる」と感じてもらえたなら、それはもうゲーム制作者冥利に尽きるな、と思うんです。 で、さっきの「ゲーム性という言葉が嫌い」というのは、SCE社内でのプレゼン大会がきっかけです。制作チームごとに「自分たちのチームはこんなゲームを作っています」という紹介していく会合が定期的に開催されていたのですが、そこで『ICO』を紹介したときに、アンケートに多く書かれたのが「ゲーム性がわからない」という言葉なんです。 それで、僕は「ゲーム性」という言葉が嫌いになった(笑)。 そもそも「ゲーム性」ってオールマイティーに使える言葉じゃないですか。ここで書かれている「ゲーム性がわからない」というのは、意味合いとしては「ゲームのルールがわかりません」ですし、一方でゲームのプレイバリューもゲーム性と言ったりするんですよね。 たとえば、やりこみ要素がなかったり、集めるものが少ない。これも「ゲーム性がない」と言えてしまう。なのでたやすく「ゲーム性」という言葉を使うとどれを指してるのかわかんなくなるんです。 だから、「ゲーム性」という言葉を使うとどうしてもすごく狭義なゲームデザインの話に偏りがちになってしまう。──なるほど。「ゲーム性」という言葉がもつ文脈に縛られてしまう、ということですね。上田氏: そうです。たとえばこれを突き詰めてしまうと、「意味のない手つなぎ」や「成長要素がない」みたいな問題を排除しないといけなくなってきちゃうんです。そういう意味で「ゲーム性」という言葉はなるべく避けていますね。 もし使うんだったら、「ゲーム性」ではなくてもっと具体的に「戦闘の駆け引き」だとか「収集要素」のようにもう少し具体的な言葉で会話したい。 「ゲーム性」という言葉があることで、「無駄だと思うものは排除したほうがいい」と思いこんでしまう危険性もあるんです。 ゲームを構築する上で、ビジュアル要素はおいておいて「スティックと箱だけで面白くなければならない」「記号だけでも面白くないと駄目」というゲームデザイン論もありますが、それについてはどう思いますか?ヨコオ氏: 僕もそういう先輩たちを見てて「本当にそうかな?」と思ってた口です(笑)。──外山さんの『GRAVITY DAZE』を遊んだとき、重力操作してビュンビュン飛び回るところにまさに『ICO』の「手をつないで歩く」みたいな手触りの面白さを感じると同時に、それとは別にルール的な面白さをあとからちゃんと付け加えたように思ったんですよ。外山氏: それで言うと、『GRAVITY DAZE』ではルール的な面白さは途中で放棄したんですよ(笑)。 原案では「画面をほんの少し傾けられるようになる」というものだったんです。 それで届かなかった崖に届くようになって、またそれでだんだん、傾ける速さや強さが上がっていくことで、行ける範囲が広がっていく感じの探索アドベンチャーというイメージでした。 だから、最初はもっとシビアに能力上げないと「ここから先は行けない」みたいな部分が多かったんですけど、スタッフからはめちゃくちゃ不評だったんです。 その時点では「でもこれは将来能力が伸びていくと、空を飛んでいるようなところまでいける。そこまでいくとすごく気持ちいいんだよ」というスタンスだったんです。けど試しにいきなり空を飛べる段階で試してもらったら「これはすごく気持ちいいし楽しいから、もう最初からこれにしてくれ」と。 でもそうしたら、崖を越えたり、かんぬきを外したりみたいないろいろと考えてたギミックが全部なくなっちゃって……(笑)。「もう、スッカスカのゲームになるけど大丈夫?」とは言ったんですけど、「それでもこっちのがいい」という結論になりました。上田氏: これも難しい話ですよね。ずっと同じゲームを作っていると感覚が麻痺してきちゃいますし。外山氏: 結局みんなが「これぐらいが一番気持ちいいです」というところに落とし込んだんですけど、最初に自分が思い描いていたゲームルールとは違ってるんですよね。 でも結局、「遊んでいる人が面白い」ということが一番なんですけど……。ヨコオ氏: 最初に思い描いていたデザインを全部崩したあと、その後何か別のバリューを足して成立させたんですか?それとも、「これだけでいけるな」と振り切ったんですか?外山氏: 結局そっちに振っていきましたね。別のバリューを足してはいないです。上田氏: むしろプレイバリューという点では減ったということもあるんじゃないですか。それでも最低限のプレイボリュームぐらいは確保しよう、みたいなのはありました?外山氏: そこも含めて、結局はお話で強引になんとかしました(笑)。 あとはパワーアップして、前より飛べるようになるのが楽しいという一点に振り切って。それで、「次はどれくらい飛べるようになるだろう?」という面白さが切れるころに、ちょうどゲーム自体も終わるようにしました。 だから、じつは『GRAVITY DAZE』ってかなり大雑把な作りなんですよ。 そんなものでしたから、なんで許されたかは本当に謎ですね(笑)。携帯機だったから、というのもあったでしょうけど。──プレイヤーとしての感想を述べると、最初から自由に行動できて「飛びながら探索する楽しさ」がありました。そこからパワーアップしていくと、「もっと速くに行ける」とか「ちょっと違う行き方ができる」という楽しみにつながっていって。外山氏: プレイした方にはそうおっしゃっていただけるので、自分が思い違いをしてたということなんでしょうね(笑)。 でもこれって、企画者にありがちなことでもあって。さっき上田さんもおっしゃられていたように、自分では全然まだまだだと思っていたところでも、プレイヤーからは好評だったり満足感があったりということはけっこうあるんです。上田氏: そうなんですよね。だからいつも「どっちが正解なのかなぁ」って迷っちゃいますよ。ヨコオ氏: 「どこでも行けて、どこでも飛べる」って、ゲームでは基本的に「やっちゃダメなこと」ですよね。最初からそれができちゃうと、フィールドもワールドもプレイヤーが行けるところはいたるところまで全部作らないといけないんで。 「それは避けたい」という意識をよく外せたなぁ、と思って見てました(笑)。 あと、「どこでも行けて、どこでも飛べる」を最初から出しちゃうと最初っから世界一周されて終わっちゃうじゃん!みたいな恐怖も(笑)。外山氏: まあですから、半強制的にエリア制になりますよね(笑)。それでもプレイヤーからの評判は良かったので、やっぱり「面白いゲーム」を考えるのは難しいなぁと痛感しましたね。■キャラクターとして“実在感”がある、最低限のモーションとは──ちょっとお話を『ICO』に戻しますけど、ヨルダの挙動は100%プレイヤーの思い通りにはいかないじゃないですか。でも、それがキャラクターの”実在感”につながっている。あの挙動の按配ってどういうふうに考えてらっしゃったんですか?上田氏: ヨルダの場合、自律的に行動するというのはそこまで多くないんですよ。鳥がいたり、周りに箱があったりと、「興味対象があればそちらに移動していく」というふうな設計が入れ込まれている程度です。 作り手側だけの視点で言うと、「キャラクターとして“実在感”がある最低限の動き」をさせているってぐらいです。 たとえば「ヨルダはこういう性格で」みたいなところまで盛り込むには長々とセリフを喋らせるとかカットシーンにするしかないですが、それは選択したくなかった。そうじゃなくてただ「本当に存在しているんだよ」というところを演出するまでで精いっぱいです。──上田さんの考える「最低限の実在感」ってどんな感じなんでしょうか?上田氏: たとえばですけど、方向転換するときにロボットみたいに一点でくるって回ったりすると、その瞬間に「あ、これNPCだ」と思うじゃないですか。 そんなふうに、「これ機械っぽいな」「プログラムっぽいな」と冷めてしまいそうな動きをすこしずつ排除していった感じです。 とはいえ、キャラクターの実在感にリソースを割り振ったのは、ディレクションの方向性にもよるものだと思うんです。 たとえばスイッチを同時に押すギミックがあったとき、ゲーム的には位置がだいたい合っていればヌルっとスイッチを押すモーションに移ったほうが作りはラクじゃないですか。 でもそれだと機械っぽくなっちゃうので、「スイッチのところまでヨルダが急いで移動する」ように動かしたりですね。 『ICO』の場合はレベルデザインやギミックが優れているわけではないし……というか、そこで他のゲームに勝てるなんて思ってなかったので。 もう「キャラクターの存在感」みたいなところの一点突破で勝つしかないとは考えていましたね。──なるほど。上田氏: その点で言うと、グラフィックでも同じように考えていました。特に当時、ナムコさんのゲームなんかは必要スキルの高い技術が惜しげもなく使われていましたしね。 だから『ICO』ではグラフィックの解像度は低くてもいいから、絵のコントラストや強烈な光の表現みたいなもので勝負するしかないという感じでした。──それでもヨルダは他のゲームに負けないぐらいの実在感を放っていますよね。そこが本当にすごいと思います。ヨコオ氏: ヨルダって、いわゆる“リアリティ”があるかどうかと言われると、じつはそうでもないんですよね。あの子、光ってますし(笑)。上田氏: ああ、白いですよね(笑)。ヨコオ氏: 僕がヨルダを見てすごいなと思ったのはそこなんです。CGで女の子をかわいく見せるのって作るのがすごく大変で。 「明るくするとかわいくなる」みたいな定石はあるにはあるんですけど、「女の子自体が光る」ところまで振り切ってるのはヨルダだけですよ(笑)。 それでもちゃんとかわいく見える画として成立しているので、すごく苦労したんじゃないだろうかと。上田氏: 実際、そこはすごく苦労しましたね。 最初はヨルダも普通のシェーディングで試していて、“女優ライト”じゃないですけど、いろいろライトを置いたりとかやってみたんですけど、どれもうまくいかなかったですね。どうやってもグロテスクに見えてしまう瞬間があって。 それでいろいろ試行錯誤した結果、ヨルダ自身が光ることになりました(笑)。ヨコオ氏: さっきのスイッチの話ではリアリティのために実在感をもたせていましたけど、一方で「女の子を光らせちゃう」というバランス感覚が上田さんだなって思いますよね。■落ちるのが怖いと感じてもらうには、「この世界には重力がある」ということを刷り込まないといけない──もうちょっとモーションのことについて詳しくお聞きしてみたいです。 ヨルダやトリコのモーションって、いわゆる「ただモーションキャプチャで作られたもの」とは全然違う「存在感」があると思うんです。「リアルだな」「よくできてるな」以上の自然さみたいなものを感じるというか。上田氏: もちろんモーション自体もこだわって作っているというのもありますけど、それだけでは限界があります。 トリコでがんばった部分に「プロシージャルアニメーション」というものがあるんです。 キャラクターが「右を向く」という演技をするときに、出来合いの「右を向くモーション」を再生するんじゃなくて、顔の向きの限界が何度で、胸の向きの限界が何度で、それ以上向きたければ腰を回転させる、といったルールを設定して動的に制御しています。 特にいまはそういったプロシージャルな制御との組み合わせのほうが重要ですかね。 当時は頑なに「モーションキャプチャは使わないぞ」と言っていました。モーションキャプチャじゃなく、すべて手付けのキーフレームでモーションを作ったからこそあの感じが出せたんだとは思っていますが。 というのも当時のモーションキャプチャの収録の手間だったり、対応速度だと「歩幅が少し広いのでもう少し狭く」とか「しゃがむ速度をもう少し早く」みたいな細かい調整のために撮りなおしが大変だったというのもありましたし。 手作業で動きを付けていれば、そういう細かい調整にも対応できるんです。ヨコオ氏: 上田さんのゲームのモーションって、いまの振り向きの話もそうですけど、なんというか「末端が遅れてくる」感じがあるんですよね。 たとえば剣を振るみたいなモーションって、普通のゲームでは1~2フレームぐらいでバーン!と振って、剣を振り切ったあとに余韻を多く残す、みたいな作りが多いんです。 一方で上田さんのゲームのモーションは、振った剣が当たるまでをしっかり見せるので、ボタンを押してから対象に当たるまでちょっとラグがあるんですよね。 そういう意味では、プラチナゲームズさんが作るような現代的なパリっとしたアクションゲームとは少し違う感じがします。上田氏: そうですね、たぶんそこも「どこを尖らせるか」「どこを優先するか」みたいなことだと思います。ヨコオ氏: やっぱり「実在感」に続いている気がしますけどね。上田氏: それで言うと、『ICO』で「細い足場から落ちるのが怖い」というのも似た話かもしれないですね。 落ちるのが怖くなるためには、プレイヤーに「この世界には現実と同じ重力がある」ということを刷り込まないといけないんです。 だから、重力が破綻したモーションを作っちゃうと、世界の法則が壊れてしまうので「刷り込み」が甘くなっちゃうんですね。そこに絶対的な重力があるからこそ、高い場所が怖いのであって。『GRAVITY DAZE』みたいに空を自由に飛べるんであれば、高い場所でも別に怖くないじゃないですか。──なるほど。『ICO』のあの“高いところにいる感じ”って、てっきりカメラワークやフォグの使い方みたいなところが大きいのかなと思ってましたが、それだけではなかったってことなんですね。上田氏: むしろ、カメラワークなんかよりも「刷り込み」がすべて、ぐらいだと思いますよ。 世界にきちんとした重力があって、キャラクターのジャンプ力はこのぐらいだから、この高さから落ちるとダメージを受けそう。そういう刷り込みがあって初めて、高くて狭い場所が怖くなるんですよね。 もちろん遠くにあるものを比較対象を置いたりしてしっかり遠くにあるように見せるとか、どれぐらい距離が離れているのかを理解させる、みたいなのもあるんですけど、高さに関してはやっぱり重力ですよね。ちょっと『GRAVITY DAZE』みたいな話になってきてますけど(笑)。──なるほど。それはめちゃくちゃ面白い話ですね。 たとえば、『アンチャーテッド』というゲームで高所の断崖絶壁を渡るシーンがあるんですが、絵としてはすごく怖そうなんだけど、体感的には全然怖くなかったんですよ。 一方で、『ICO』はしっかりと「怖い」と感じたんです。その違いの答えが、いまのお話でストンと腑に落ちました。ヨコオ氏: そういう意味では、上田さんのゲームっていい意味で「ゲーム感」がないですよね。「本当に怖い」という感覚が出ちゃうのは、いろいろなものを排除しているのと、「実在感」を強化しているってところに紐付いてる気がします。──いきなり断崖絶壁じゃなくて、それが途中から出てくることにも意味があるってことですよね。「落ちたら痛い目にあう」という体験を積み重ねて、いざ崖が出てくると「あ、ここで落ちたら死んじゃう。怖い」と感じられると。上田氏: あとは、「落ちることができるゲームかどうか」というのもあるかもしれないですね。 たとえば絶対に落ちないようになっているゲームがあったとして、落ちないとわかっていたら怖くもなんともないですし。 逆に言えば、何かのミスで落下防止壁がない場所があって落ちてしまったら、「あ、このゲームって落ちるんだ」と一気に恐怖を与えられるかもしれません。■ゲームはまだ、「みんなが気持ちよくなければならない」という宿命を背負っている?外山氏: 今日お話していて思ったんですけど、ゲームってすごい勢いで変わるというか、変わらざるを得ないですよね。上田氏: そうですね。つねに「昨日の正解が今日の正解とは限らない」みたいな状態です。外山氏: 上田さんは、けっこうそこの葛藤が大きいんじゃないかなと思うんです。『人喰いの大鷲トリコ』でもカメラをどう落ち着けるかとか、すごくこだわっていたじゃないですか。上田氏: 最近のゲームプレイヤーは何も弄らずゲームエンジンの標準で付いてくるような汎用カメラが良いんでしょうね。外山氏: そうですね。ゲームプレイヤーには、もう「カメラといったらアレだ」という共通認識があると思います。上田氏: カメラに情緒や情感は要らないというふうに。ヨコオ氏: でも一方で、あのカメラがスタンダードになった意味は大きいですよね。 この世代になってツルっとした「素」のカメラを入れないことに理由なんかないですよね。普通は考えなしで入れちゃうと思います。 逆にあの素のカメラになってない、ということは「意図的にやっているんだ」とちょっと考えればわかると思うんですけど、逆に「カメラが変」と捉えられちゃったり。それだけゲームをプレイする層が大きくなった、ということでもあるんでしょうけど。上田氏: そうですね。ゲームを、作品として見るのか、それとも道具というか、家電みたいなものと同じ並びで見るのかにもよりますよね。外山氏: 「誰にどのぐらい売りたいのか」という考えも大きいですよね。 「素のカメラ」に慣れ親しんでいるいまの若い子にも遊んでほしいとなると、そこは尊重しないとですし(笑)。上田氏: そうですねえ。外山氏: 一方で「いままでのファンにまず応えたい」と思ったら、考え方もまた違ってきますし。ヨコオ氏: ファミ通さんのクロスレビューって点数をつけるじゃないですか。 飯野賢治さんがマンガ『おとなのしくみ』の中で「もっと気軽に10点をつけたり、2点をつけたりできないのか」、「個人の好き嫌いをはっきりさせるほうがいい」とおっしゃっていて。どんなゲームでも横並びに評価されるというシステムは、そもそもジャズとロックを一緒くたに並べて評点しているようなもので、ゲームに点数をつけるやり方としては相応しくないんだと。 だからゲームがメディアとして成熟したら、そういうのはなくなるか。あるいは、将来はそういう点の付け方はなくしてほしい、と言っていたんです。 一方で、「ゲームはなかなかそこにたどり着かないな」と僕はいまでも思っています。 まだまだ「古典」になっているわけではなくて、「いま楽しむもの」として受け入れられている。そのこともあって、「みんなが気持ちよくなければならない」という大衆メディアとしての宿命をゲームはまだ背負っている気がします。 だって、映画だったら「つまんない映画はつまんなくていいや」とみんな普通に受け入れているじゃないですか。上田氏: それはそうですね……。ヨコオ氏: メディアとしての進化が止まって、もうちょっと枯れないとその時代が来ないのかなという気がしています。──いま話題に挙がったファミ通のクロスレビューでは、『ICO』の点数は8・8・7・7の30点でしたね。ヨコオ氏: ああ、よく知ってます。僕、それで怒ってました。外山氏: (笑)。ヨコオ氏: 本当ですよ! 会社で普通にひとりでキレてました(笑)。上田氏: とはいえ、そこまで悪い点数ではなかったですよね?──そうですね。ただ、これはファミ通さんがどうって話ではなくて、それだけ『ICO』というゲームが異質で、評価が難しかったということだとは思います。ヨコオ氏: 僕は、ちゃんと「低いな」と思っていました。当時はすごく怒っていたんですけど、ゲームのメディアとしての扱われ方とか、大衆性が求められることを考えると、『ICO』に10・10・9・9みたいな点数は付けられないだろうな、とはいま振り返ってみると思いますけどね。 そういう意味では、飯野さんのおっしゃる「10点が1個あればいい」みたいなゲームだった気がします。 でもそれを言い出すと、「レビュアーにひとりはアートがわかる人間を入れないといけない」みたい話にもなってしまうので難しいですよね。上田氏: そうですね。ヨコオ氏: そうやって怒っていたら、『ワンダと巨像』のレビューは点数が良くて(笑)。上田氏: 良かったですね(笑)。ヨコオ氏: それを見た僕はまたキレていました(笑)。いまさら良くしてもダメだよね! って。■『ICO』は「大事に持っておきたい絵本」のようなゲームなのかもしれない──最後にまとめの質問として、今日の話題を踏まえて、「上田さんと『ICO』のすごさっていったい何なんだ?」というお話を聞ければと思います。ヨコオ氏: さっきのクロスレビューの話とちょっと近しいものがあるんですけど、『ICO』を何ステージか遊んで、「何がすごいか」というのを伝えるのは、たしかに難しいですよね。 比喩としては「よくできた絵本」、「素晴らしい短編映画」みたいなことは言えるんですけれど、「じゃあそれって具体的に何なの?」って言われたら説明しにくいです。それこそ、「神は細部に宿る」みたいなすごさなので。 「『ICO』の良さは説明しづらい!」というのが僕の最終的な感想ですね(笑)。上田氏: よく言われるのは「ヨルダかわいい」とか「世界観がいい」とかですけど、そこのどれかに当てはまりますか? それとも違いますか?ヨコオ氏: もちろん違いますよ! 僕は上田さんのゲームを遊ぶと、「すごく良い絵本を手に入れた」ような気持ちになるんですよ。上田氏: ゲーム本編だけじゃなくて、パッケージングも含めてということですか。ヨコオ氏: もちろん中身は遊んで、振り返って、パッケージとしてもそうなんです。 装丁から何から全てキチンと統一されていて、フォントもガチャガチャしてない。 「大事に持って置きたい1本」という気持ちが一番強いゲームなんですよ。上田氏: 絵本か……。なるほど。ヨコオ氏: 僕の感覚としては「絵本」が一番近いメディアです。──「絵本風のゲーム」っていまならたくさんあるんじゃないですか。そういうゲームとの違いって何だと思いますか。ヨコオ氏: 「絵本風」というのは、絵本を物理的に模倣しているだけなんですよ。 『ICO』はそうではなくて、絵本の本質に近づいているんです。それが何なのかはよくわからないですけど、僕にとっては絵本が一番近いです。外山氏: 『ICO』は作品としての「完成度」へのこだわりがやっぱりすごいんじゃないかと思いますよ。 「雰囲気ゲー」的な作品は他にもたくさんありますけど、『ICO』ほど、その雰囲気の必然性をパッケージの中に込める、ということの意味を徹底して見つめた作品は他にはないと思います。 なんていうか、まさしく「レガシー(遺産)」な作品という感じがしますね。ヨコオ氏: 上田さんは先ほど「ヨルダがかわいい」とか「世界観がいい」みたいな例を挙げていましたけど、それって『ICO』の良さの説明になってないような気がしてるんです。 たとえば「女の子を好きになりました」というとき、「じゃあその子のどこが良いいの?」と聞かれたとします。 そこで「料理がうまい」とか「顔がかわいい」とか「優しい」みたいな要素を挙げていったとして、それを全部足し合わせたところで、その「女の子の良さ」を説明したことには絶対にならないじゃないですか。その感じに近いんです。 だから『ICO』の良さを説明するのが難しいんです。強いて言うなら、僕にとっては「『ICO』があったこと」そのものが、「『ICO』が好きな理由」なんですよ。──なるほど。やっぱり上田さんのすごさや評価って、ユーザーさんとクリエイターさんで全然違いますよね。外山氏: 上田さんと飲んでいてよく思うのは、僕が当たり前に思っていることに対して、鋭く「そうですかね?」と別の視点が入ってくることなんですよ。 もう毎度毎度、ハッと気付かされるというかね。自分は「これしかない」と思い込んでいたなあ、そこはやっぱりもう、「すごいなぁ……」という感じがしますね(笑)。ヨコオ氏: さんざん語って最後の感想が「すごいなぁ」で終わる(笑)。外山氏: 「すごいなぁ」になっちゃいますね(笑)。ヨコオ氏: それが外山さんの面白さです(笑)。──表面的には「雰囲気がいい」みたいな良さでもある一方で、やっぱりそこに至る過程をお聞きするとすごい話がどんどん出てきて。「表に出ているもの」の裏側にこれだけ情報量があるのは、やっぱり一流のクリエイターたる証ですよね。ヨコオ氏: でも上田さんが大衆に理解される世界は、それが本当に良い世界なのかはちょっとわからないですよ(笑)。一同: (笑)。ヨコオ氏: 「アーティストが好きなアーティスト」というカテゴリはいつまでもあるものなので。上田さんには「ずっとアーティストでいてほしいな」という気持ちはありますね。──改めて上田さんご本人としてはどうでした? ひとまず『ICO』が20周年というタイミングでのお話でしたが。上田氏: あっという間だったような、そうでもなかったような。どっちでもなかったかもしれません。 でもさっきも言いましたけど、当時「こうなればいいな」と思っていた以上の結果になってよかったと思います。 『ICO』がきっかけで次の作品を作れるようになりましたし、そこから注目されたりもしたので、『ICO』というタイトルを遊んでくれたプレイヤーの皆さん、ならびに制作スタッフも含め、関係者の方々にとても感謝しています。 『ICO』は何から何まで初めてづくしの中で作ったゲームということで、たくさん反省点もあるのですが、20年経った今でもこのように語ってもらえるようなタイトルになったことをとても嬉しく思っています。とはいえ、“いつのまにか成長して、親元を離れ少し遠くに行ってしまった子ども”みたいな不思議な気持ちもありますね。 自分が思ってた以上に立派に成長したことが意外でもあり、また誇りでもありといった感じで。 あとまあ、ふたりのさっきの話は……なんだろうな……。ヨコオ氏: 何も答えてないふたりですから(笑)。上田氏: 今日、外山さんとヨコオさんにお声がけしたのは、僕の一番の理解者だということもあったので。いや、今日はありがとうございました。ヨコオ氏: いやー、最後の我々の感想は、とても上田さんを理解できてるとは思えない投げ出し感がありましたね。すいません(笑)。一同: (爆笑)。 (了) さて、『ICO』座談会はいかがだったろうか。 『ICO』をはじめとして、上田文人氏の作品はその「雰囲気の良さ」や「アーティスティックなセンスのすごさ」を語られることが多い。しかし、今回の座談会で改めて確認できたのは、上田氏が「純粋なゲームデザイナーとしても超一流のクリエイターである」ということだろう。 たとえば、普通なら「セーブしますか?→YES・NO」で済むところを、わざわざ「手をつないでベンチに座る」ようにする。しかしそのことによって、「女の子との関係性を深めていく」という『ICO』全体のテーマを響かせるのみならず、「セーブ」というゲームにとっての「当たり前のアクション」が格別に印象深いものとなる。 あるいは、プレイヤーに「細い足場から落ちるのが怖い」と感じさせるために、「この世界にはきちんとした重力が存在する」というルールを“刷り込ませる”。「ここで落ちたら死んじゃう」という真に迫る怖さは、断崖絶壁の画やカメラワークではなく、「高いところから落ちたら痛い目にあう」という体験が積み重なることによってこそ生み出される……などなど。 このように『ICO』に施されたゲームデザインの数々は、まさしく“ゲームならでは”の表現であり、ゲームというメディアに特有の“体験性”を生み出しているわけだ。 筆者が思うに、上田氏は、とくに同業のゲームクリエイターからリスペクトを集めている人物のひとりである。それが、こうした「ゲームならではの表現」に果敢に取り組んでる結果であり、同業者だからこそ、その偉大さを感じられるからなのだという部分を、今回の取材では、多少なりともお伝えできたのではないかと思う。こうして振り返ってみると上田氏と『ICO』のすごさに改めて感服せざるを得ないのだが、ここで本稿の「問い」に立ち戻ってみよう。 冒頭でも述べたように、『ICO』の良さを一口に言い表すのはたいへん難しい。それこそヨコオ氏がおっしゃっていたように、「『ICO』があったこと」そのものが、『ICO』の素晴らしさなのだ……と言いたくなってしまう。 とはいえ、そこで語るのを止めてしまってはゲームメディアの名がすたるというもの。最後に、あえて『ICO』の良さを言語化する試みをしてみよう。 個人的には、最後にヨコオ氏が語った「絵本」というキーワードはたいへん興味深く感じた。ここでいう「絵本」とは、「絵本のようにメルヘンチックな」という意味ではない。 それは小さい頃に何度も読んだ大好きな絵本であり、いくつになっても大切に持っておきたい絵本であり、折に触れて本棚から取り出し、パラパラとめくってはあの時感じた「良さ」の匂いを再び味わうことができるような絵本なのだ。 誰でも……というには少し主語が大きすぎるかもしれないが、おそらくそのような特別な絵本というものは、誰の家にでも1冊はあるはずだ。もう大人になって読まなくなっても、なんとなく捨てられないでいる、大切な絵本。 そうした絵本が放つ「良さ」というものは、やはり「絵がきれい」だとか「お話が好き」といった個別的な特徴を説明することによって汲み尽くすことはできないだろう。 ゲームというものは、ひとつの作品である。しかし同時に出来栄えの良さを厳しく評価される工業製品であり、大衆娯楽でもある。おそらく、『ICO』は大切に持っておきたい絵本がそうであるように、「工業製品」「大衆娯楽」であることを踏み越えたゲームなのではないだろうか。 だからこそ、私たちは『ICO』の良さに魅せられたのではないだろうか。絵本に夢中になる子どもが、絵本の良さをレビューすることがないように。©2001-2011 Sony Interactive Entertainment Inc.【プレゼントのお知らせ】上田文人氏のサイン入り!『ICO』PS2パッケージ版を1名様にプレゼント!■総勢81点!『ICO』の超貴重なコンセプトアート&絵コンテを大公開! 『ICO』20周年座談会はいかがだっただろうか? ここからはgenDESIGNさんから特別にご提供いただいた、『ICO』のコンセプトアートと絵コンテを掲載していく。・『ICO』コンセプトアート・『ICO』絵コンテ①・『ICO』絵コンテ②・『ICO』絵コンテ③・『ICO』絵コンテ④・『ICO』絵コンテ⑤

電ファミニコゲーマー:実存、TAITAI、佐々木秀二

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